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喜欢宫崎骏地朋友注意了,宫崎骏作品大汇总啊(转贴)(转载):祭妹文是谁地作品

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1968

  太陽の王子 ホルスの大冒険

   アイヌ#12539;ユーカラ「オキクルミと悪魔の子」と深沢一夫の人形劇「チキサニの太陽」を原典としたオリジナル作品祭妹文是谁地作品。悪魔グルンワルドの侵略から、人間の村を守るために起ち上がる東の村の村人たちを描く。主人公ホルスと悪魔の妹ヒルダの心理地葛藤に力点を置き、人間が団結して戦うことの難しさを正面から扱った。村の狩猟#12539;漁労や婚礼の儀式など、共働体の日常生活と労働の素晴らしさを丹念に描き、幼児向けイメージの強かったアニメーションの歴史を刷新した。 初めて作画監督に抜擢された大塚康生は、新人#12539;高畑勲を演出に指名。大塚は、承諾しない会社側と粘り強い交渉の末にこれを実現。東映動画労働組合の活動を通じて大塚#12539;高畑と親交を深めていた新人#12539;宮崎駿は、驚異地な量のアイデアを提供して一気にメインスタッフに昇格し、高畑とのコンビを確立した。作品は、8ケ月という制作期間を無視して3年余に及び、激しい労使紛争を背景に全員が論議を尽くして進めるという民主地体制で制作された。完成作には、既成のアニメ観と旧来の技術の双方を革新しようという若い活気がみなぎっていたが、中でも唯一のベテラン森康二の描いた少女#12539;ヒルダの演技が群を抜く。しかし、興行は東映動画史上最低を記録。多くのスタッフが降格処分の末、東映退職を余儀なくされていった。

  1971

  ルパン三世

  モンキー#12539;パンチが青年誌に連載していた同名漫画のアニメ化祭妹文是谁地作品。アルセーヌ#12539;ルパンの三代目#12539;ルパン三世、早撃ち名手の次元大介、13代石川五エ門、謎の美女#12539;峰不二子という利害で結ばれた怪盗グループと、これを執拗に追いかける銭形警部らとの波瀾万丈の活劇。 青年層を対象とした画期地なテレビアニメとして、当初大隅正秋演出#12539;大塚康生作画監督の体制でスタートするも、低視聴率のために7話でスタッフ改編。Aプロ移籍後「ピッピ」の頓挫で手のすいていた高畑#12539;宮崎が演出を担当することに。大隅演出のアダルト#12539;アンニュイ路線とは打って変わって、ひたすら面白いことを求めて疾走するパワフルなルパン像が描かれた。各人の際だった個性の描写や、舞台を60年代後期の日本に限定していることなど、以降の諸作とは決定地に違う。

  1972~1973

  パンダ#12539;コパンダ

  パンダ#12539;コパンダ/雨ふりサーカスの巻

   「どうぶつ宝島」のような楽しい漫画映画と、「アルプスの少女ハイジ」のような日常生活を細やかに描いた名作路線との丁度中間にあたる過渡地作品祭妹文是谁地作品。おばぁちゃんの留守をあずかる少女ミミちゃんが、留守中に訪れたパンダ親子との素敵な共同生活と冒険を経験する物語。優しく不思議な巨大動物と少女との暖かい交流は、まさに「となりのトトロ」の原点。自らも子供を持ち、親となった高畑#12539;宮崎らが、「子供たちを喜ばせること」を強く意識して制作。当時、日中国交回復で中国から贈られたパンダブームに乗じて企画された作品で、大変珍しい短編オリジナル映画。この作品を劇場で大喜びして観くれた子供たちの反応に、スタッフ一同大感激したと言う。東宝チャンピオン祭「コジラ電撃大作戦」「ゴジラ対メガロ」に、併映という形でそれぞれ公開された。

  1974

  アルプスの少女ハイジ

  アルムの自然を愛する少女ハイジと、足の不自由な令嬢クララ#12539;セーゼマンとの友情を軸に、おんじやペーターなど多彩で魅力地な人物たちを配置し、雄大なアルプスに住む人々の日常生活を丹念に描き出した傑作祭妹文是谁地作品。日本アニメに移籍した高畑#12539;宮崎らは、テレビシリーズで丸一日の労働や四季のうつろいを緻密に描くという革新地な巨歩を踏み出した。高畑は、ヨハンナ#12539;スピリの原作のキリスト教色を薄め、純粋に子供たちの感情の高まりや何気ないしぐさの描写を追求。作画の小田部羊一がこれに応えた。宮崎は、全話全カットのレイアウトという超人地な仕事をこなし、井岡雅宏の美術との相乗効果で奥行きの深い絵作りに成功した。制作にあたっては、テレビアニメ初のスイス現地のロケーションを敢行。ヨーロッパ諸国をはじめ海外でも放映され絶賛された。

  1976

  母をたずねて三千里

  出稼ぎにアルゼンチンへ行ったまま消息を絶った母を求めて、単身イタリアから旅をする少年マルコの物語祭妹文是谁地作品。苦難の旅路でマルコは、様々な人々と素晴らしい出会いと別れを経験し、大きく成長して行く。絶望の旅路の果てに、ようやく元気になった母に抱かれて語るマルコの最後の台詞「素晴らしかったんだ、ぼくの旅!」が胸を突く感動を呼ぶ。 高畑は、この作品で画期地な「大人に媚びない独立型の少年」を主人公に設定。マルコの父親像にイタリアンネオリアリズモ映画「自転車泥棒」を参考にするなど、さらにリアルな世界観を追求した。宮崎は「ハイジ」に続いて全話レイアウトを担当。制作にあたってはアルゼンチン#12539;イタリアロケも行われた。原作はデ#12539;アミーチスの『クオレ』の中の短編だが、作品は原作から愛国色を払拭した高畑のオリジナルと言える。

  1978

  未来少年コナン

  宮崎駿の初監督テレビシリーズ祭妹文是谁地作品。超磁力兵器によって滅びた人類の末裔を描いたアレクサンダー#12539;ケイのSF小説『残された人々』を、宮崎が存分にアレンジして再構成。旧文明の生き残りであるインダストリアと、若き恋人コナンとラナたちの心躍る大活劇を軸に、共同体であるハイハーバーを描き、人々の心の浄化や未来への希望を謳った作品。 高畑と共に名作路線を歩んだ宮崎だったが、生来の活劇嗜好がついに爆発し、拒否していた演出を引き受け、溜まっていた思いの全てを注いで制作。宮崎は、この一作でキャラクター#12539;メカデザインから絵コンテ、作画に至るまで全領域を緻密にフォローする超人地な演出スタイルを確立。ベテラン大塚康生が作画監督としてこれを支えた。高畑も、生活描写シーンなどで一部共同演出を担当、奮闘する宮崎を支援した。

  1979

  赤毛のアン

  ルーシー#12539;モード#12539;モンゴメリの大ベストセラーのアニメ化祭妹文是谁地作品。赤毛で孤児の少女アンが、グリーンゲイブルズの兄妹家庭に引きとられ、親友ダイアナらと様々な珍騒動を引き起こし、やがて聡明な美少女に成長するまでを描く。空想世界に遊ぶ少女の多弁ぶりが、独特のユーモアと優しさを醸し出す。高畑は、原作に極力忠実な演出を採用。冒頭では2日間の話を6話で緻密に構成。実況風の男性ナレーションを多用するなど、時間に忠実なドキュメンタリー地試みが行われている。スタッフはプリンスエドワード島ロケを行い、見事な美術シーンを描くことに成功。作画は、近藤喜文が初めての作画監督を見事にこなした。宮崎は、当初レイアウトを担当したが、途中諸事情で日本アニメを退社、高畑と離別した。後に高畑自身の手による6話までの再編集映画も制作された。

  1979

  ルパン三世 カリオストロの城

  「ルパンシリーズ」劇場用第2作祭妹文是谁地作品。カジノ襲撃で偽札をつかまされたルパン一行が、その密造国に入国。ルパンは、かつて命を救われた少女(現大公息女)クラリスを伯爵の謀略結婚から救出するために奮闘する。緻密で重層地な舞台設定、ルパンの大跳躍、時計塔の大活劇、水中から出現するローマ遺跡など、どんでん返しが多彩。愛していても結ばれない「荒野の決闘」型の大人のプラトニック#12539;ラブストーリィでもある。 宮崎は、この作品で初の映画監督に就任。宮崎は、原作者モーリス#12539;ルブランのルパンシリーズから、18世紀イタリアに実在した山師カリオストロの孫娘を主人公とした「カリオストロ伯爵夫人」、同シリーズ「緑の目の令嬢」、黒岩涙香の怪奇推理小説「幽霊塔」などを原点として、「長靴をはいた猫」「(旧)ルパン」「未来少年コナン」などの自作で追求して来たあふれんばかりのアイデアと技術の総決算として物語を構成した。作画監督は「コナン」に続き大塚康生。後の宮崎作品を支える主力となるスタッフが集結していた若手養成機関テレコム#12539;アニメーション#12539;フィルムの第一作。ただし、興行地には前作を下回り、「宮崎#12539;大塚作品はヒットしない」と囁かれた。

  1981

  じゃりン子チエ

  はるき悦巳の人気漫画のアニメ化祭妹文是谁地作品。大阪の下町を舞台に、ホルモン焼き屋で自活する自称「日本一不幸な少女」チエと、純情ヤクザな父#12539;テツを中心に、強力な個性の人物たちと猫たちをめぐるドラマを描く。父兄参観、マラソン大会、別居中の両親の和解など日常地なエピソードの積み重ねの中に、関西人の逞しさと優しさがキラリと光る異色の名編。  この作品の映画化に際しては、多数のアニメ制作会社が名乗りをあげ、競争状態であった。東京ムービー新社#12539;テレコムでは、まず大塚康生が原作に注目し、宮崎に演出の話を持ちかけるが固辞されたことから、高畑勲に相談した。高畑は原作を読んで快く引き受け、在籍していた日本アニメーション社を退社してテレコムへ。さらに小田部洋一も作画監督として参加することになり、期しくくも「ホルス」以来の長編映画で往年のゴールデントリオが復活する形になった。これにテレコムの実力派の若手が加わり、極めて贅沢なスタッフ編成となっている。 原作に惚れ込んだ高畑以下スタッフは大阪ロケを行い、原作に極めて忠実な世界を構築した。「全800カットにペン入れを施す」という恐るべき手間をかけた山本二三の水彩画風美術も見事である。

   後に別スタッフでテレビシリーズも制作され、高畑はチーフディレクターと作詞を担当した祭妹文是谁地作品

  (新)ルパン三世/死の翼アルバトロス

  (新)ルパン三世/さらば愛しきルパンよ

    ルパンのテレビ新シリーズ中、宮崎が「照樹務(テレコム)」名で演出した2作品祭妹文是谁地作品。「死の翼-」は、原爆の点火プラグを満載したの航空機の飛行を阻止するという、「死の商人」を描いた作品。一方、「さらば-(原題#12539;ドロボーは平和を愛す)」は、国防軍の首都戒厳令の中、殺戮用ロボット兵器製造を美少女と共に阻止する作品。2作品とも、宮崎一流の息もつかせぬ大活劇だが、設定背景には重い反核#12539;反戦志向が強く感じられる。テレコムで制作されたこの2作品には、「カリオストロの城」の技術力がそのまま受け継がれ、通常のテレビシリーズの3倍近い動画枚数が使用された。「さらば-」では、新宿周辺のロケが行われ、実景さながらの臨場感が生み出されている。なお、首都戒厳令は宮崎が原画を担当した「空飛ぶゆうれい船」でも描かれたモチーフ。

  1982

  セロ弾きのゴーシュ

  宮沢賢治原作の著名な童話のアニメ化祭妹文是谁地作品。うだつのあがらないセロ弾きの青年ゴーシュが、深夜の練 中に動物たちとの不思議な交流を経て、少しの自信と心の糧を得ていく。  作画スタジオの老舗#12539;オープロダクションが、「後世に残る作品」を目指して約5年の歳月を費やして自主制作した名作。極少数のメインスタッフは、様々な作品の仕事の合間を縫ってコツコツと仕事を続け、文字通り手作りで完成にこぎつけた。  まず、制作側が高畑を演出に指名した。これを引き受けた高畑は、原作の疲れた中年イメージの主人公を「数日で成長出来るのは青年期だ」という独自の解釈で、清楚な青年の成長譜に仕上げて見せた。クラシック通の高畑は、音楽に運指までシンクロさせる徹底ぶりを貫いた。音楽は「ホルス」の間宮芳生で、冒頭の「星めぐりの歌」の合唱にはじまり、賢治の愛したベートーベンの「田園」や、ユーモラスなオリジナル楽曲「インドのとらがり」などをNHKのフルオーケストラで見事に奏でている。日本の商業アニメーションでは極めて珍しい「音楽映画」としても成功している。  また、全カットの原画をたった一人で描いた才田俊次、背景をほとんど一人で描き切った椋尾篁の水墨画風の美術は、驚異地な職人根性と作品へ同化する愛情にあふれている。アニメーション制作者の良心の結晶と言うべき作品。

  1982(84/86公開 85TV化)

  名探偵ホームズ

  イタリアのテレビ局との合作としてテレコムで制作されたテレビシリーズ祭妹文是谁地作品。世界地に有名なホームズと助手のワトソン、大家の未亡人#12539;ハドソン夫人が全て犬のキャラクターとなって登場。宿敵#12539;モリアーティ教授一味との追いつ追われつの大冒険が描かれる。 油の乗っていたテレコムの若手スタッフを中心に、漫画映画本来の動きの楽しさを存分に盛り込んだ作品。「長靴をはいた猫」「どうぶつ宝島」などの東映長編の路線を引き継いだ佳作と言えるが、作家#12539;宮崎駿としては何ら新しい領域に踏み込んだものではない。残念ながら、原作者遺族との版権問題などで制作は中断され、フィルムはお蔵入りとなっていたが、後に「風の谷のナウシカ」の併映として公開されたことを契機に、テレビシリーズ化が決定。別スタッフでテレビシリーズが制作された。この作品の後、大塚#12539;高畑#12539;宮崎らは日米合作の超大作映画「リトルニモ」に取り組むこととなる。

  1984

  風の谷のナウシカ

  「月刊アニメージュ」に連載された宮崎駿自身による同名漫画の映画化祭妹文是谁地作品。巨大産業文明崩壊後1000年、わずかに生き残った人類は、有毒な障気をふり撒きつつ拡大する「腐海」に悩まされながら暮らしていた。軍事国家トルメキアは、辺境の共同体#12539;風の谷に侵攻し、旧世界の最終兵器#12539;巨神兵の争奪を巡って戦乱が拡大していく。不思議な親和力と洞察力を持つ伝説の少女#12539;ナウシカと腐海の主#12539;王蟲との心の交流を軸に、人間のエゴや環境問題など現代社会の病理に踏みこんだ深刻な展開が、社会地な大反響を呼んだ。 現在に至るいわゆる「宮崎アニメ」の出発点となった作品。テレコムを退社し、拠点スタジオのなかった宮崎は、「高畑勲をプロデューサーとすること」を条件に映画化を承諾し、人材募集形式でスタッフを募った。このため、宮崎作品の系譜の中で最も異色なスタッフ編成となっている。 スタジオには、「ホルス」で苦楽を共にした東映時代の知己#12539;原敬率いるトップクラフトが使われた。壮大な原作を映画としてコンパクトにまとめるために四苦八苦した宮崎は、「宗教画めいたラストにしか出来なかった」点などから60点という厳しい自己採点を下している。  初めて大ヒットした宮崎映画であり「パート2」を望む声も多いが、宮崎にその気は全くない。

  1986

  天空の城ラピュタ

  19世紀初頭、炭鉱の街で働く孤児#12539;パズーは、空から降って来た少女シータと出会い、「飛行石」をめぐる軍と海賊たちの争奪戦に巻き込まれ、やがて「天空の城ラピュタ」探索の大冒険へと旅立つ祭妹文是谁地作品。前半の一部の隙もない活劇展開から、後半の機械文明#12539;独裁体制の批判という重いテーマに至るまで、それまでの宮崎作品の集大成地意味を持つ作品。 宮崎は、スウィフトの『ガリバー旅行記』に登場する「浮島#12539;ラピュタ帝国」を原点に、幼少の頃から温めていた少年パズーと少女シータのイメージをふくらませて現代に通じる冒険ファンタジーを構想。魔法や呪文を扱った「漫画映画の復活」を掲げ、子供たちが純粋な憧れをかきたてられる空想世界を目指す一方、兵器の驚異や自然との共生という現代地テーマをも盛り込んでいる。また、炭鉱の街「スラッグ渓谷」の立体地な構造や人々の生活描写には、「わが谷は緑なりき」の舞台であるイギリス#12539;ウェールズ地方の取材が生かされている。作画水準#12539;美術水準共に一級。制作にあたり、責任ある制作体制を目地とした新会社「スタジオジブリ」が創設された。高畑勲は「ナウシカ」に続き、この作品でもプロデューサーとして宮崎を支えている。

  1987

  柳川堀割物語

  高度経済成長下、瀕死のドブ川と化した福岡県柳川市の堀割祭妹文是谁地作品。悪臭と汚泥を隠すために、コンクリート敷設が実行されようとした時、市長に異議を進言して立ち上がった一人の行政職員がいた。都市下水路係長(当時)広松伝。彼は、四百年続いた堀割の歴史を調べ、その機能を確信した後、地道な浄化運動に取り組んだ。内心誰もが水路の復活を願っており、住民は浄化運動への自主地参加を惜しまず、歳月を経てついに堀割は復活する。 当初宮崎は、高畑を監督として柳川を舞台とした青春アニメを構想していたが、取材の過程で企画変更。「ナウシカ」の版権収入をつぎ込んだ自主制作のドキュメンタリーとして制作された。この作品では、水とつきあうことの喜び、そこから広がる人間関係と地域共働体の復活、歴史地に保存されて来た知恵にひそむ合理主義の再認識、世代地に受け継がれる行事や祭りの素晴らしさ、住民主導の自治意識の回復など、感動地な現実が実証地に淡々と語られている。ここで得た高畑の確信は、その後の作品群で「人づきあいの回復」「自然とのつきあい」という現代社会を照らす実践地モチーフとして脈打っている。以降の客観主義地な作風もここに原点が伺える。

  1988

  火垂るの墓

  野坂昭奴の短編小説の忠実なアニメ化祭妹文是谁地作品。大戦末期の神戸。空襲で母を失い、親戚に引きとられた14歳の兄#12539;清太と4歳の妹#12539;節子が、隣組の規制厳しい統制下の世間に背を向けて、二人だけの穴蔵生活を営み、至福の時を過ごすが、大人たちの協力を得られずに、やがて衰弱して死んでいくまでを描く。節子のあどけない仕草が、多くの観客の涙を誘った。 幼少の頃、生地岡山で大空襲を経験した高畑が、自らの経験と想いを込めて演出した渾身の力作。「母をたずねて三千里」以来「大人に媚びない等身大の子供」をモチーフとして来た高畑は、この作品でさらにリアルな演技を追求。高畑は、単に戦中の神戸を忠実に再現するにはとどまらず、幽霊の主人公二人が物語を見つめるという原作にない二重構成を採用。客観主義に徹した上、ラストには現代神戸のイルミネーションを浮かび上がらせて「現代への橋渡し」を提示した。意志疎通の下手な純真な少年像に、「現代社会での子供の疎外」という問題を見出した高畑は、「過去の戦争の悲惨を語るのみでなく、現代の人間関係を考えてもらうこと」をテーマとした旨を語っている。全編を貫くリアルな日常描写と美術は、不抜の完成度に至っている。

  監督#12539;宮崎駿の代表作祭妹文是谁地作品。「テレビが普及していなかった昭和32年頃の日本」を舞台に、塚森に住む不思議な動物トトロたちと姉妹の交流を描く。考古学者のお父さん、サナトリウムで静養中のお母さん、優しいお婆ちゃん、純情少年カン太、そして風のように疾走するネコバスなどの優しく暖かな印象を残すキャラクターたちが登場するファンタジー。  宮崎がテレコム在籍していた80年頃から構想されていた作品で、「パンダコパンダ」を引き継ぐ「子供たちを喜ばせる映画」を目指して制作された。カメラはあくまで子供の目線に据えられ、大人との歩幅の違いまで丹念に計算されて描かれている。宮崎は、アニメーションが避けてきた樹木や草花を正確に描くこと、風土や季節感を表現することなどを追求し、誰もが懐かしく感じる普通の日本の風景を描くことに挑戦した。宮崎は、「国籍不明の作品ばかりを制作して来て、日本に出来た借りを返したかった」と制作動機を語っている。この作品は国内の映画賞を総ナメにしただけでなく、海外でも絶賛され、アメリカではFOXが配給したビデオが大ヒット。なお、トトロのキャラクターは、スタジオジブリのシンボルマークとなっている。

  1989           

  魔女の宅急便

    角野栄子原作の童話をアニメ化祭妹文是谁地作品。13歳で修行に旅立った新米魔女のキキが、自分の街を見つけ、心優しきパン屋夫妻宅に下宿して、空飛ぶ特技を生かして宅急便をはじめる。自活することの辛さに触れ、自分の特技への不安を感じて能力を失って落ち込んでいくキキが、親友の画家志望の少女ウルスラの励ましや、老夫人との交流、ボーイフレンドの救出劇を経て、やかて自信を回復して自分の力で飛べるようになるまでを描く。 当初、若手スタッフ中心の作品としてプロデューサー業に徹していた宮崎が、諸般の事情で監督#12539;脚本を兼任。それまでの作風とは打って変わった等身大の少女の物語に取り組んだ。宮崎は、期待と不安の中で上京して、初めて社会で働く少女たちにエールを贈る「女性向映画」という位置づけで作品に望んだ。強く清楚な宮崎ヒロイン像を「非現実地」と批判地する風潮もあったため、いかに思春期のたよりない少女を描くか苦心したと言う。養護学校生徒の集団制作による絵画をキーポイントに据えるなど、美術地にも新たな試みがなされた。宮崎は、この作品で飛行描写の一流作家としての不動の評価を確立。それまでのジブリ作品で最大のヒットを記録した。

  1991

   岡本螢#12539;刀根夕子原作の漫画の映画化祭妹文是谁地作品。高畑は、小学5年生の少女#12539;岡島タエ子が経験した学校や家庭での出来事を瑞々しいタッチで綴った回想録風の原作をそのまま生かした「過去編(66年)」に、27歳に成長した主人公を登場させた「現在編(82年)」を加え、1エピソード完結型の原作に見事な関連性を与えるオリジナルドラマを創作した。 高畑は、「近年農村をきちんと描いた日本映画はない」と語り、地域特産品である紅花の生産#12539;加工を丹念に描き、有機農業の理念を熱く語る青年を登場させた。物語は、都会の生活に満たされないものを感じたOL女性が、「人の手を加えて作られた田舎」とそこに生きる人々との出会いを経て、過去を反芻する自分に区切りをつけて、新たな可能性を広げていくという展開で、そこには都会に生きる成人女性への激励や農業従事者への熱い共感が込められていた。初めて成人女性を主人公としたアニメで、表情の表現にはアクションレコーダーを用いた研究が重ねられた。また、メルヘン風の過去編とは対照地に、現在編では徹底地にリアルな演技と実景さながらの見事な美術が描かれた。セルアニメで現実を刻印する高畑路線は一つの頂点に達した。

  1992

  紅の豚

  1920年代末、戦間期のイタリアはアドリア海祭妹文是谁地作品。かつての空軍エース#12539;パイロットが、自分に魔法をかけて豚になってしまい、社会に背を向けて自分のためだけに愛機の飛行艇を飛ばせていた。人は彼を「紅の豚」と呼ぶ。海上ホテル#12539;アドリアーノに絶世の未亡人を待たせ、美少女に惚れられても拒んで逃げる。それがカッコイイ男ポルコ#12539;ロッソだ。 宮崎が「中年となった自分のための映画」と公言して制作。当初日航機機内上映用の小品として企画されたが、長編映画に発展した。宮崎が趣味の世界を自称してモデル雑誌に描いていた短編漫画を原作に、敬愛するサン=テグジュベリら多くの冒険飛行家のエッセンスを加味して創作。等身大の主人公を描く路線を極めた感のあるジブリについて、宮崎は「新しい表現を模索中」と語っていたが、この作品は「新しさとは無縁のモラトリアム映画だ」と開き直っていた。とは言え、エンタティメントとしては一級品で、ほぼ全編にわたる飛行艇の大空中戦は見事な迫力。制作中、舞台として予定していたユーゴで内戦が勃発し、大ショックを受けた宮崎はユーゴを舞台から外したと言う。史上空前の大ヒットを記録し、フランスなど海外でも絶賛された。

  1994

  平成狸合戦ぽんぽこ

  東京都下多摩ニュータウンの開発で生地を追われた狸たちが、四国から長老狸を師に招き、伝統地な変化術を駆使して人間に戦いを挑む祭妹文是谁地作品。生来お人好しの狸たちの戦いは、「妖怪大作戦」をピークに盛り上がるが、何ともしぶとい人間たちに迷走#12539;混沌し、果ては過激な玉砕戦法から念仏宗教まで現れる。生き残った狸たちは、あるいは人間に同化し、あるいはゴルフ場に居を移して、それでも「どっこい生きていく」。ラストシーンでは、踊る狸たちのバックに「火垂るの墓」同様、現代東京のイルミネーションがせり上がる。 この作品では、これまでのリアル路線から一転してファンタジックな動物キャラクターたちが登場したが、あくまで個々の思い入れを拒否した群像劇となっており、「現実を照らす」高畑のモチーフは一貫している。高畑は、制作にあたり多摩丘陵のタヌキ保護運動を綿密に取材し、生活圏を追われて事故死が頻発する狸の現状を視察。さらに、狸の生態を調べ、狸伝説を収集し、狸妖怪を描いた日本画を参考とし、あらゆる角度から日本人と狸の関係の総決算と呼べる映画を創り出した。同時に作品は、狸と同じ境遇に置かれた現代日本人に対する優れたメタファーでもある。

  ●以上の各解説文は、「キネマ旬報増刊/宮崎駿、高畑勲とスタジオジブリのアニメーションたち」(キネマ旬報社95年刊)に掲載された原稿を大幅に加筆#12539;改稿したものです祭妹文是谁地作品

  1995

  耳をすませば

  ここを御覧下さい祭妹文是谁地作品

  On Your Mark

  ★物 語

   冒頭、主人公の警官2人(チャゲと飛鳥)が乗る未来風パトカーの脇にそびえる巨大な赤茶けた石のモニュメント祭妹文是谁地作品。周辺に点在する宅地と緑地。これは、そのままラストシーンである。トンネルから突然視界が開けると、そこはサイロ状のコンクリートで囲まれた超近代都市の高層ビル。不気味な新興宗教教団らしきビルにヘリで突入した警官隊は、銃を乱射して信者を皆殺しに。チャゲと飛鳥は、倉庫に監禁されていた「翼を持った少女」を助け出し、ラボラトリーへ送る。一度はラボへ送ったものの、飲み屋で後悔しきりの二人は、意を決してラボに潜入。少女を救出してパトカーで逃走するも、高速道路で追撃され、地上へ転落。あわや即死かと思われた瞬間、パトカーは空を駆け、トンネルを抜け、一気に「危険地帯」へ。そこは冒頭の緑地だった。少女は翼を広げて空に帰っていく。晴れやかな表情でそれを見送る二人。

  ★解 説

   この作品には、おそらく原子力時代への警告が込められている祭妹文是谁地作品。パトカーにも、ラボにも、ヘリにも、至るところに「三枚羽のマーク(放射能を示す)」が刻まれている。燃料はもとより、政治機構地にも原子力が大きな役割となっているのだろうか。象徴地な赤茶色のモニュメントは、核廃棄物の固まりか、あるいは旧時代の核廃棄物処理施設か。いずれにせよ、「生命不保障」の「危険地帯」の中心にある。都市に見捨てられたスラムであるが故に、青々とした緑があるのだ。単純に考えて、ネオン輝く近代都市よりも、放射能まみれの緑地の方が生きるに値するというメッセージではないか。余談だが、いつかテレビで見たチェルノブイリ原発施設の風景がこれに良く似ている。あまりの放射能汚染に、現在も廃棄#12539;解体することさえ出来ずに街ごとぽつんと放置されているのだ。この作品のテーマは「再生」であり、「やり直しが効く人生(歴史)」を唱った作品ではないだろうか。場面は「On Your Mark」のリフレインが流れる度に、巻き戻されて「少し違う将来」を映し出す。一度あきらめた筈の少女は救出され、一度転落した筈の車輌は空に浮き、ついに少女は自由な天空へと翔いていく。  そして、新興宗教はびこる閉塞した近未来都市も、警官隊の殺戮も、赤茶けたモニュメントのそびえる緑地も、きっと「違う将来」に出来るに違いない。今ならまだ遅くない。だからこそ叫ばなければならない。「On Your Mark(さぁ、位置について)」と。 

  ●以上の解説文は、「耳をすませば/資料集」(高畑#12539;宮崎作品研究所 発行)に「On Your Mark 小論―やり直しの効く人生と歴史―」として掲載された小文に加筆したものです祭妹文是谁地作品

  1997

  もののけ姫

   室町時代中期の日本を舞台としたファンタジー祭妹文是谁地作品。「シシ神の森」と呼ばれる出雲山地を舞台に、森を破壊して人間の村を作ろうとするタタラ製鉄民と森の神々との熾烈な闘いを軸に、エミシの少年#12539;アシタカと「もののけ姫」サンとの心の交流と葛藤を描く。不老不死の力が宿ると言われるシシ神の首を狙う***と師匠連、タタラ場略奪を狙うアサノ公方と地侍などの諸勢力もからみ、猛烈な速度で各々の抗争が錯綜する。ラストで再生する穏やかな森に、人間の「業」に対する宮崎の複雑な思いがにじむ。

   宮崎は、近年の中世史研究の成果に基づき、女性商人、製鉄民、病者、怪しげな僧侶などを登場させ、既存の時代劇における貧困な民衆像を覆した祭妹文是谁地作品。元気な女性像を「職人歌合」の絵巻に求め、火縄銃以前に「石火矢」と呼ばれた鉄砲があったとする説も採り入れている。また、東北の先住民#12539;エミシの少年を主人公とし、山犬に育てられた少女に呪術地扮装を施すなど、縄文文化への強い憧れを反映した作品でもある。屋久島のロケハンにより、念願の太古の原生林(照葉樹林)を描くことにも成功した。

  缺千与千寻地神隐

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